IE9ピン留め

地球の裏側でも相変わらず愛すべき私たちの記録
by isamu407
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『陽暉楼』宮尾登美子(2004/10/07)
 宮尾登美子の作品というのは昔立て続けに映画化された期間があって、これもその一つ。まあ芸者が出てきて、やくざ者の男に惚れたはいいが、これが金遣いは荒いし女にはだらしないし・・・とかいうありがちのストーリーを女性の主人公の目を通して描く、妙に女おんなした世界、というイメージである。正直言ってそういう女おんなした情感って言うのは怖い。ゆえにこれまで怖いもの見たさという意味以外ではまったく読もうと思わなかった。

 それに、こういう時代がかかった小説っていうのは一種の現実からの逃避行動のような気がして手に取る気もなかった。それを、今回意を決して購入するに至ったのは、自分の今度のブラジル行きはこれまでとはぜんぜん違う意味を持っているが故に、日本人としてのアイデンティティを確認できるような、思いっきり日本情緒溢れた作品を沢山買いこんできたからだ。他には、談志師匠の落語全集なんてのもある。(笑)

 さて、実際に読んでみるとこれがなかなか手ごわい。何しろ高知の妓楼という設定であるから、これがどんなところかわからないと話が進まない。と、いうのはわかるのだが、余りに導入部が長くてなかなか物語が動き出さないので何度も挫折しそうになった。

 陽暉楼というのは主人公の職場であり、高知一の由緒ある妓楼である。主人公の房子はまだ幼いころ博打打ちの父の借金の肩代わりに売り飛ばされてこの世界に入った。踊りに天賦の才能を持つ彼女はその中でもめきめき頭角を現し、いまや陽暉楼一、二を争う売れっ子芸者である。しかしながら芸を売るだけが芸者ではない。晩生で商売っ気のない彼女はそっちの方はからっきし駄目である。しかし芸者は一種の自営業であるからパトロンのつかない芸者は経済的に大変である。もっとも、房子も売れっ子である以上はパトロンの爺さんがついている。

 ところが彼女はその爺さんとは別に、かつて伽を共にしたエリート銀行員が気になって仕方がない。そして、どうも彼の子を身ごもっているらしいことに気づく。驚くことに当時はこの種の交渉に際して避妊などまったく行っていなかったらしい。だからこういう場合たいてい、芸者はこっそり中絶するのが普通のようで、先輩芸者もそう言っている。しかし房子はどうしても生みたいという。一同あきれるが、パトロンの爺さんはなら認知してあげようじゃないかと申し出る。しかし実はこの爺さん糖尿病にかかっていて、そちらの方面は極めて怪しい。にもかかわらず自分の子として認知して、おまけに房子を水揚げしてやろうという。

 しかし房子はバカ正直にもその申し出を断ってしまうのだ。しかし、爺さんだって自分の子じゃないのは先刻承知の上で芝居を打っていたのだった。面子を潰された爺さんがこれ以上彼女の面倒を見るはずがない。ならばその銀行員に認知してもらうしかないのだが、普通そんなことはありえない。隠居した爺さんならともかく、将来のあるエリートが芸者との間に出来た子供など認知するはずがない。それに、こういうことは一般には「ないことになっている」のだ。お金を払って遊んだ結果相手が妊娠する結果になろうとも、それはあちら側の問題で、それを後になって蒸し返すのは野暮だと思われていた。かくも不条理であるが、それが素人の世界と玄人のそれとの違い。それに件の銀行員は今更房子のことなんてなんとも思っていないのだから、なおさら認知したり援助したりする動機がない。

 そこで房子は自力で出産しようとするのだが、そんなお金があるはずもなく(芸者はパトロンの補助なしではお金など残らないくらい経営者側に搾取されていた)、出産費用は経営者からの前借、おまけに産休期間中の売上減の補償まで前借させられた。そして、これから先、ストーリーはひたすら破滅へ向かって走り出す。結局、彼女は難産の末ながら無事に子供を生んだものの、栄養状態のせいで脚気になり、しばらく立つさえ出来なかった。やっと回復したと思ったら今度は結核に襲われ、あっけなく命を落としてしまう。

 この物語は、当時の女性は基本的な人権も認められなくて可哀相だったと読むことも出来る。というかそれが一番無難な読み方かもしれない。しかし、別に房子は近代的自我を持つ女性だったのではあるまい。単なる世渡り下手のお人よしだ。現に同僚の芸者たちは辛い現実も受け入れてたくましく生きている。確かに房子の運命は残酷である。余りに無残な人生である。しかしそれはあくまでも現代の、この平和な日本に生きる私たちの視点でこの物語を眺めるからそうなのであって、当時とは事情が違う。玄人の社会は素人さんの世間とは別の原理で動いているのだ。

 捨て鉢にならず、あくまでも今を、与えられた条件の下で、自分のできる精一杯で生きること。それを教えてくれるからこの物語は美しい。それに引き換え、現代に生きる私たち素人の甘えはどうだ。与えられた条件を受け入れることが出来ず、何と、毎日不満たらたらと生きていることか。現実を直視する勇気の、何と欠けていることか。

 自分だけの物語を紡ぎだすこと。他人の人生ではない。自分の人生なのだから。
# by isamu407 | 2004-11-11 01:30 | 読書録
「不夜城」馳星周(2004/10/19)

 こんな小説、何を今更と言う感じもするが、実はブラジルに赴任する直前、映画化か何かで話題になっていて書店に平積みになっていたのを覚えている。当時は精神的に一杯一杯でまったく関心がなかったのだが、最近になって急に読みたくなってアマゾンで注文したものである。

 結論から言うと、読むだけの価値は十分にあったと思う。エンターテイメントとしても一流だし、それ以外にもいろいろと考えさせられるところが多かった。

 まず、主人公を始めとして物語の中心になる登場人物がいずれも日本人と中国人の混血である点だ。彼らは日本人からも中国人からも同胞として認められず、何にアイデンティティを求めていいのかわからず苦しんだ結果、極めて特異なキャラクターも持つまでに至った。特に主人公と、彼と行動を共にする女性は、自分が生き残るためにはどんなことでもやりのけるという人生哲学を持っており、なんと最後にはお互いに凄絶な殺し合いを演じてしまう。

 実は主人公はその女性に引きずられ、そのために何度も本来ならば必要のなかったピンチを何回も招いている。しかし、最後の最後にはやはり自分の哲学に従うことになる。でなければ同じことを彼女がしたであろうことは明らかであったからだ。

 また、その女性はその兄とともに旧満州の日本人残留孤児を母親に持つ。残留孤児の帰国は当時ずいぶん話題になったが、帰国して、その後彼らがどうなったかはほとんど報道されていない。しかし、よく考えてみれば、当初こそ暖かく迎えられたかもしれないが、その後どんなことになるかは、今の日本社会を見る限り推測するのは容易である。

 つまり、彼らは日本社会の偽善と偏狭さの犠牲者なのである。

 だからといって感傷に浸っている暇はない。生きなければならないからだ。そして、日本社会から受け入れられることのない彼らの行き先は一つ、アウトローの世界しかない。しかし、そこは何時虫けらの様に殺されるかわからない世界だ。幸い今は、まだ生きている。それだけのことだ。

 たかが作り話である。しかし、このニヒリズムにはぞっとする。それは私たちがこうして生活している世界からほんの少ししか離れていない。
# by isamu407 | 2004-11-07 16:02 | 読書録
「人種差別のない国」は本当なのか?
読み応えたっぷり「ブラジル研究入門」

 表題の問題について同書の考察に従ってまとめてみる。

 一般にブラジルは「人種差別のない国」と言われるし、ブラジル人自体もそう思っている節がある。時間とともに黒人も白人も東洋人も交じり合って、小麦色の肌の、一つのブラジル人になるんだという事を、私もどこかで読んだ記憶がある。

 しかしながら、本当のことを言うと上流階級の白人は同じ立場のもの同士でしか婚姻関係を結ばないのだ。

 この幻想は、次のような歴史によって生まれた。支配階級である白人と奴隷であったインディオあるいは黒人との間に混血児が生まれる。次第に混血児の数が増えてくる。ところが19世紀終わりになって奴隷制が廃止されると、黒人が来なくなり新たに白人(ドイツ系、イタリア系)の移民を受け入れるようになった。そうして更に混血が起こり、これらの混血児の子孫は代を経るに従って肌の色が白くなり、そのうち純粋の白人と変わらなくなってしまうという仮説が生まれた。

 後半部分は半分以上歴史的事実ではない。なぜならこれらの移民たちと従来のブラジル人との間では余り混血が行われていないからだ。この時代の移民が多く、もともと黒人の少なかった南部地方に定住したというせいもある。それでもある程度は混血が行われたかもしれないし、新しい黒人は入ってこないのだから全体として白くなる方向なのは間違いない。

 この過程を「皮膚の漂白化」と言うらしい。この「漂白」という言葉には、白いほうが優れているんだという価値判断が含まれているのは言うまでもない。第二次大戦前には、皮膚の白さは民度の高さの尺度とまで言われたのだ。

 ここで、上記の物語から白人優位説に繋がるような毒を抜いてしまうと、今巷間語られているような、混血国家ブラジルを積極的に評価する言説が出来上がるわけだ。しかし、そのベースとなる、白人の血によって黒人の血を薄めてしまおうというパターンはそのまま踏襲している。つまり、この人種融合の考え方そのものが人種差別思想を起源とするものなのだ。

 もう一つ、残酷な事実がある。それは、混血化が進んでいるといっても、伝統的な支配体制にあっては、混血児は結婚外の交渉の結果として生まれるのであって、正式な婚姻を通じたものではない。つまり、大量の混血が生まれた背景にあるのは、一つには伝統的に上流階級に存在していためかけを持つ習慣と、下層階級における性的な放縦さである。意識的に「人種的民主主義」の実践をしていたわけでは決してない。

 「人種的民主主義」は形を変えた「白人化」であって、白人支配を正当化するイデオロギーでしかない。それが証拠には、経済的に成功した黒人ほど白人の配偶者を持ちたがるが、逆の例はあまり聞いたことがない。実際に、色の白さに応じて賃金や教育レベルには大きな差が存在する。つまり、現実に色の白さに対応するヒエラルキーが存在しているのである。


 この議論には、次のような反論が予想されるかもしれない。つまり、黒人だから差別されるのではなく、たまたま差別されるような階級に黒人が集中しているに過ぎないという考え方だ。というのは実際この階級に属する白人の割合も決して少なくはないからだ。しかし、この意見は白人の中にも階級差があることを考慮していない。白人は超上流から下層まで満遍なく分布しているのに、黒人は下のほうに集中してしまっているのだ。

 で、私たち東洋系は一体どういう位置づけなのだろうと思う。もちろん人にもよるが無色透明・中立なんてことは決してない。独断と偏見で言ってしまえば、相対的にかなり上のほうにいる。でも上から眺めれば、まったく問題にならないというレベルだ。
# by isamu407 | 2004-10-30 03:17 | ブラジル
こんなフィッシングは如何?
これもまた「ヴェージャ」誌(10/6)の記事から編集。大いに呆れてやって下さい。

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「網にかかった釣り人たち」

船の遭難が政治家や企業経営者を巻き込んだ少女売春の実態を明らかに

 国会がわが国における少女売春の調査をまとめたのはほんの2ヶ月前のことだ。最終報告書では政治家や企業経営者を含む250人を告発。北部地方だけで百に届く組織を確認した。しかし、先週アマゾナス州のネグロ河で起こった難船事故を考えると、組織があたかも何事もなかったかのように営業し続けていたのは明らかだ。

 遭難によって13人が死亡したが、そのうち5人の少女は旅行者たちと”釣り”から帰る途中だった。一行には企業家、自由業者、そしてブラジリア連邦特別区議員までがいた。彼らは一週間3,500レアルの代金を支払い、ヨットに乗り、アルコールは飲み放題。世界中のグルメを味わい、射撃を楽しんだ。その上、希望者にはさらに特別のオプションが用意されていた。

 もし船さえ沈まなかったら何も知られずに済んだはずだ。マナウスに着いた釣り人たちは、出発前にショッピングセンターに出かけてランジェリーや口紅、ビキニの水着を買い求めている。出帆後何キロか航行した後、船はランチャーでやってきた16人の追加乗船を受け付けた。震えるくらい素敵なパーティが始まった。買ってきたばかりのランジェリーのショーがあった。翌日少女たちは下船した。内5人は船に残ってマナウスに戻るつもりだったが、目的地にはたどり着けなかった。船が嵐で沈んでしまったのだ。

 警察による事情聴取はまだ終わっていない。しかし、疑いもなくこれは一種のセックスツアーだ。9人の少女から話を聞いた。3人(うち一人は17歳)は、ブラジリアの区議会議長と関係していたと供述した。その議員は辞職を申し出た。「女の子が乗って来るとは知らなかった。それに気づいたので、降ろしてくれと頼んだが聞いてもらえなかった」と語った。ツアーの主催者は依然行方不明。

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# by isamu407 | 2004-10-28 21:10 | ブラジル
自殺者たちの天国?
 ブラジルで発行されている代表的な週刊誌「ヴェージャ」誌の先週号に日本における自殺の流行について書かれた記事があったのでその要点を紹介する。

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   「自殺者たちの天国」Ariel Kostman

 日本での自殺はある程度社会的に許容されている。また、それは伝統でもある。

 インターネットで知り合った20台7人の男女による車中での一酸化炭素中毒による集団自殺事件があった。同じ頃別の場所では二人の女性が同様のやり方で死んでいるのが見つかった。

 ショッキングな事件であったが、警察ではさほど驚いてはいない。というのも、今年だけで20人、同じ方法で自殺しているからだ。これらすべてが、インターネットを通じて同意しあった計画心中によるものだ。最近この国に広まった悲しい流行である。

 この10年、日本における自殺者の数は年に10%の割合で増加し、2003年には34,000人に達した。これは、人口10万人あたり25人という、先進国中で最も高い割合である。アメリカ合衆国の2倍以上、ブラジルの6倍にも達する。日本では、自殺は20台の死亡原因のトップでさえある。

 この自殺の流行については、一つには日本の文化に原因がある。また、13年にわたって続いている不景気とも関連している。まず第一の論点であるが、自殺は古くからのこの国の伝統でもある。(以下、武士の切腹の伝統、歌舞伎における心中物の流行、そして第二次大戦の特攻攻撃などについて叙述)

 自殺という儀式は歴史に根ざすものではあるが、西洋社会とは異なり日本社会は自殺に対して寛容であるため、いとも簡単に実行されてしまう。日本の支配的な宗教である仏教も神道も、自殺を罪とはみなさない。この行為を非難するどころか、ある状況を解決する一つの方法として称賛することも多い。(以下、病気の老人が家族に迷惑を掛けたくないからと自殺する例、及び家族を受取人として自分に保険をかけて自殺する例などについて解説)

 もう一つ、日本における高い自殺率の原因とされるのが社会の厳しさである。日本社会は名誉や恥に極端に重きを置く社会である。閉鎖的な社会であるので、学校でいじめにあった生徒が親にも教師にも話せずに悩んだ末自殺してしまうケースも多い。また少なからぬ若者が長く続く不況のせいで将来に悲観的になっているという説もある。

 最近になって、日本の公共機関では簡単に自殺することが出来ないような工夫をしている。(高層ビルから飛び降りたり、地下鉄に飛び込んだりするのを防止する)しかし、相変わらず日本は自殺者たちの天国なのである。

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 ちなみにこの「ヴェージャ」誌は週刊誌といっても日本の週刊誌のようにセンセーショナルにに読者を煽るような記事は少なく、どちらかというと物足りないくらい極めて中庸を得た穏当な記事が多いという気がする。(よく言えば上品、悪く言えば気取ってる感じ)

 上記は、日本ではおなじみの議論だと思う。しかし遠くブラジルの雑誌記者がよくここまで調べたものだと感心する。歌舞伎についての言及は無理やりという気がする(結びつけるとしたら近松の世界?)し、仏教がそういうものだと決め付けてしまっているのも感心しないが・・・
 
 私たち日本人は狭い島国の中で完結した出来事だと思っているかもしれないけど、それだけ世界中の人々の関心を集めるほど異常な現象であるということを忘れてはならないと思う。つまり、日本人はそれだけ特異な社会状況の中で生きているのである。
# by isamu407 | 2004-10-26 21:53 | ブラジル
軍事政権の評価
読み応えたっぷり「ブラジル研究入門」

補足

 軍事政権とは一体なんだったのか。なぜ誰もそのことを論じようとしないのか、謎である。論じないことで「あった」事実がなくなるわけでもないであろうに。

 最近ブラジルで、軍事政権時代に監獄内で変死したジャーナリストに対する拷問の証拠とされるような写真が公表され、論議を呼んでいるのだが、これに関する情報を追っていると、軍も政府もどうも何か奥歯に物が挟まったようなコメントしか出してこないのだ。何かを恐れているかのように・・・

 これに関連して、どうも軍事政権時代の機密資料は50年間公開しないという協定があるそうだ。今回の写真は個人が持っていたのが偶然流出してしまったものらしい。

 要するにこの時代の記憶もまだ生々しい今、それを持ち出すことは「憎悪の連鎖を招く」から避けたいということらしい。つまり、憎悪の連鎖の結果として起こると予想されていることを恐れているらしいと推測される。寝た子を起こすな、頼むからそうっとしておいてくれというところか。

 ということは、ブラジルにもようやく民主主義が根付いたという、大本営の公式見解も、実際は実に危うい均衡の上に成り立っているに過ぎないということがわかる。つまり、一旦堰が切れるとまた、軍政時代に逆戻りということもありうるわけだ。そして、それを避けるためには、一番弱そうな環を何とか宥めすかしてとにかく時間を稼ぎ、軍政時代の記憶を忘れさせることだ。日本人が戦後五十年たって戦争時の記憶をなくしてしまったように!

 私はブラジル現代史の闇の部分をこのように考えるのだ。
# by isamu407 | 2004-10-26 05:33 | 読書録
石光真人の手記 全4巻(9/13-17)
「城下の人」「曠野の花」「望郷の歌」「誰のために」の4冊 石光真清編(中公文庫) 日露戦争の直前からシベリア出兵の時期にロシア~満州で諜報活動に従事した石光真人陸軍大佐の手記である。

この本の存在は呉智英氏の著作で知った。前々から気にはなっていた(遠く大学生時代!)のだが買うのを長い間躊躇していた。しかし、今、この年になって、このような立場にあるこの時にめぐり合えたのは本当にグッドタイミング。もし人生の別の時点でこの本を読んだなら、これほどの感動はなかったであろう。

 特に第一冊目に当たる「城下の人」はぜひ人に勧めたい一冊だ。

 少年時代に故郷熊本で西南戦争に立会い、貧しいながらも努力して軍人としての一歩を踏み出す。めまぐるしく変わる世情。人々は運命の流れに翻弄されながらも、その時々を真剣に生きていた。しかしそれだけではない、著者とその周りの人々には一本筋の通った哲学があった。人の上に立つものとしての強い自負心があった。「正しさに対する勇気と信念」「信用は求むるものに非ず、得るものなり」生きる勇気を与えられる。

 二巻目「曠野の花」では、石光氏は志願してスパイとして単身大陸に渡る。馬賊と交流したり、ロシア軍に追われたりの大冒険を繰り返し、最後にはハルビンに情報拠点を築くという話。もうこの時代には沢山の日本人が大陸に渡っていたらしい。そして、その先駆となっていたのがプロの女性たちだ。彼女たちの有形無形の助けなくして目的達成は有り得なかったといっていい。

 歴史はきれいごとばかりでなく、正史に現れないところではこのような事実があったのだ。しかし、多くの先発の居留民は非業の最期を遂げたり、例え生き残っても多くは語られないものだ。それ故にこの手記は貴重である。

 三冊目「望郷の歌」前作とは打って変わって苦悩する主人公の姿を見ることが出来る。石光の祖国を思う気持ちはいささかもゆるぎないのにも関わらず、社会から次第に浮き上がって、気がつけば孤独な戦いを強いられている。

 日露戦争の前後で日本は大きく変質した。英雄の時代が終わり、要領のいい者だけしか生き残れない社会になった。今に至る日本社会の特殊性はこの時代に芽生えていたことがわかる。それは明治維新が目指していた一つのもののある意味完成と言えるかもしれないが、それと同時に、伝統的に日本社会の中で受け継がれてきたものを失ってしまったという一面があるのも確かである。

 日露戦争で、日本人は死に物狂いで戦い、そして勝利することが出来た。しかし、それは精神的には敗北に近いものであっただろう。勝ったと浮かれている間に、日本は完全に世界に組み込まれ、ついにその独自性を封じ込まれてしまったのだ。確かに日露戦争では、日本は勝たねばならなかった。しかし勝った時点で日本はロシアよりもはるかに大きな敵に負けてしまっていたのである。そのことを当事者で気づいていたものはほとんどいなかった。にもかかわらず、まさに勝利のその瞬間から、凋落は始まっていたのである。

 最終巻「誰のために」前作であれほど辛酸を舐めたにもかかわらず、またまた乗せられて大陸に渡ってしまう彼の人の良さには、呆れを通り越して尊敬に値するレベルである。

 想像するに、多くの善良な日本人が石光のように、利用され、捨て駒にされたのであろう。自分も海外に出てきてしまった人間であるから良くわかる。体制側は、送り出すときこそ調子のいいことを言うくせに、いざというときは自己責任とか自助努力とか言って平気で見捨ててしまうのである。こんなことをしているうちは、決して日本に国際化時代など来やしない

 それにしても呆れ果てたのが、当時のシベリア出兵を巡る日本政府の見識のなさである。結局日本には当時から確固とした国家戦略などなかったことが良くわかる。この事件をきっかけに、義理人情に厚く、通すべき筋は通すという美しい武士道の精神をベースにした、日本人に対する国際的信頼が大きく失墜して行ったのは当然である。そして、国民自身も何を信じていいかわからなくなって行った。今に続く亡国の道筋はもうこのときから始まっていたのである。
# by isamu407 | 2004-10-26 03:27 | 読書録
貧乏人の敵は貧乏人
日本じゃ銀行員がストライキするなんて余り聞いたことがない。というか、ストライキ自体ほとんど行われていない。

ところがブラジルは、労働者の権利が過剰に保護されている社会である。と言っても、労働者の権利を保護すべしという思想自体には私も異議はない。特にブラジルのような階級社会では雇い主の意のままに労働者が奴隷同然に扱われていた時代もあったと聞く。

しかしながら、この権利の恩恵にあずかることが出来るのは大組合を背景にもつ労働者に限られるのだ

中小企業で働く人たちが変に権利を主張すると、明日からもう来ないでいいよということになる。そりゃあ裁判すれば勝てるので、短期的に保証金とかはもらえるのだけれど、長い眼で見たらいいことは何もない。元の会社に留まってもやりがいのある仕事など以後決して回ってこないだろうし、転職しても、裁判好きな従業員など誰が好んで雇うものか。

その点大組合をバックしていると、ストライキという手段で会社を恫喝できる。従って甘え放題なのだ

今回の銀行員ストがどれだけ馬鹿げたものであったか、以下に説明しよう。組合側の要求は、なんと25%のベアアップである。ちなみに経営者側が指標としている昨年10月からの1年間のインフレ率が6%台、いかに金融界が好況に沸いているからといっても、余りに現実を無視した要求であった。しかし、本年は念願の労働者党(PT)政権となって初めての好況だったものだから、組合側も変に強気だった。結局15日ストライキを続けて駄目で、今度は目標を19%に下げて、更に15日頑張ってしまった(笑)

ちなみに公平を期すために言っておくと、ブラジルでは銀行員という職業は、少なくても支店長レベルにでもならない限りは、それほどステイタスの高い職業ではないので、給料はそれほど高くない。そのせいか、従業員も、日本などの行員と比べるとはるかにちんたら働いているし、サービスの質も非常に悪い。要するに自他共に、他のサービス業一般と変わらないという認識だ。

でもいくらなんでも、一律25%はひどいだろうと思う。そりゃあブラジルの銀行は高金利でひどく儲かっているのだから、それなりに利益に貢献したと思われる従業員にはそのくらいの昇給があってもおかしくないが、それを全体に適用して、それが許されるとさえ思っているのは社会を舐めているとしか言い様がない。どう贔屓目に見ても10%前後が落としどころであろう。

ちなみに、いやしくも銀行であるから、完全に業務を停止することはない。しかし、窓口がほとんど機能していなかったため、多くの年金受給者がキャッシュコーナーに列を成していたらしい。当然のことながら、年金受給資格者は高齢者である。そして、ただでも銀行の行列はすさまじいので、このスト期間中多くのお年寄りがしわ寄せを受けたことになる。これはテレビのニュースでも特集されていたのだが、それに対する組合幹部の言い草は、我々の生活防衛のため協力して欲しいと。何が生活防衛だ、単なるストを道具にしたたかりじゃないか。

実は組合幹部がこんな発想をしてしまうのも、過去の為政者が有権者の関心を買うために余りに労働組合の言いなりであったからである。そのために大企業の労働者や公務員からは当たり前の社会常識が欠落してしまっているのだ(ちなみにブラジルでは、貧乏な家庭の子弟が大企業に入ったり公務員になったりするのは難しい。だから、一般的には生まれが貧しいものほど安い賃金しかもらえない)。

で実際、今政権を担っているPT自身が、野党時代はもっと賃金を上げろと声高々に唱えていた側なのだ。しかし、実際に政権を担当して、国庫が殆ど空に近いのを目の当たりにして、自分たちが推進してきた結果に唖然としていることだろうと思う。それが故に、逆に、かえって組合運動を押さえる側に回らざるを得ないというのは皮肉なことだ。願わくは組合側にもそのくらいのことが理解できる能力を望むのだが、長年のたかり生活のおかげですっかり人情の機微を洞察する能力も失ってしまったのかもしれない。

そうして、全国民に迷惑を掛けた30日にわたる銀行員ストは何の成果も挙げられずに終息した。これから、大量解雇を含む経営者側の報復措置があるのは疑いもない。しかし、これだけのことをしておいて国民の誰が同情するというのか。未だにスト権はおろか、定職すらもてない人が大勢いるのだ。貧乏人の敵は貧乏人なのである

ぺどらのホームページ
# by isamu407 | 2004-10-22 22:46 | ブラジル
読み応えたっぷり「ブラジル研究入門」
「ブラジル研究入門―知られざる大国500年の軌跡」金七 紀男・高橋 都彦・住田 育法・富野 幹雄

 読み応えたっぷり。特に、植民地時代からブラジル帝国時代までの歴史の流れが大変よくわかった。この時代の政治的なエポックと経済史的な流れとの関係がよくわからなかったが、本書でずいぶんすっきりしたように思う。ペルナンブッコやバイア・ミナスなどの大州がなぜ歴史の移り変わりの時期に注目されるかもよくわかった。

 また、文化や風俗に対しても多くの分量を割いているので、今にも通じるブラジルのイメージがどう形成されてきたのかもよくわかった。同時に、厳しい階級格差と隠れた人種差別が今に至るまでほとんど解決されていないまま、表面的にはあたかもそれが存在しないかのように扱われているという重大な指摘も大変重く受け止められる。

特に、第二次世界大戦直前の黄禍論についての分析は、勝手に何の根拠もなしに能天気なブラジル観を信じ込んでいる多くの「ブラきち」日本人に冷や水を浴びせるものである

 ただ不満は、ヴァルガス独裁体制以後の記述が、よく言えば客観的、悪く言えばまるで人事の様に冷めているということだ。数字と事実の羅列ばかりで、その背後にある民衆の意思とか、国際的な影響とかがほとんど分析されていない。悪く言えばわざと無視しているようにさえ思える。

学問的立場も異なる4人の著者の共著であるがゆえに、現在この国がおかれた流動的な状況を、以前の時代のように断定的に語ることは困難なことかもしれないが、定価3,000円を超えるこの手の本に投資しようと思うような読者のためには(学術書としては安いかもしれまないが、興味半分に買える値段とも思わない)もう少し冒険的なスタンスをとってもよさそうなものだがと思った。

 しかし全体としては記述もきわめて平明で、一通りこの国の歴史や社会を概観してやろうという意欲のある方には、3,360円は決して高くはない。ぜひとも多くの人に読んでもらいたいと思う。

ぺどらのホームページ

# by isamu407 | 2004-10-22 05:02 | 読書録
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